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根暗の音楽が聴きたい

まず前提として、当記事はこの記事に触発されたものだということをご理解ください。

大学生にはギリわかって高校生にはギリわからない 2000年代後半の邦楽ロックを振り返るpart1


もひとつ前提で、「5〜6年前に流行ったバンドってなんであんなに良かったんだろう、もっとあんなバンドが聴きたい……」と思った女が、どうしてあの頃のバンドが良かったのかを真面目に考えてみる記事となっております。
なのでたとえ同年代であっても「9mm Parabellum Bullet凛として時雨、残響系、THE NOVEMBERSハヌマーン」といった系統のバンドに馴染みがない方は共感できる部分が少なくて普通に詰まらないと思います。それでは長々失礼しました。本題に移ります。

バンド文化の中心って、やっぱり中高生です。主にお金を落とすのは大学生だと思いますが、大学生はその気になればお酒だの旅行だの娯楽がたくさんあります。時間もある。その中で音楽に割く割合って、やっぱり中高生に比べると断然少ない。いわゆる熱狂する層って、中高生なんですね。わたしたちがその中高生だったころ、時代は9mmの全盛期でした。
で、もひとつ同じ頃に流行りだしたものがあります。スマホTwitterです。だいたい高校生くらいの頃ですかね。わたしはだいぶ粘った方なんですが、二年生くらいの時にはもうスマホ使ってたと思います。これで世界が急速に広がったかと思うと、そこは根暗、めちゃくちゃ閉じていったんですね。ここにあの頃流行ってたバンドの特性がすごく合致してると思うわけです。
あの頃音楽が好きだった人は、たとえ自分の好みじゃなくても上記の名前を出せば「あ〜、流行ってた流行ってた」と言うと思うんですが、ところがわたしが学校に行って根明の子と同級生と話すと、まあ話が噛み合わない。9mmは数曲知ってる、時雨は名前を知ってる程度。せっかく話しかけてくれたのにうまく話せなくてとても申し訳なかった記憶があります。
それもそのはず、そもそも上記のバンド(便宜上『根暗系バンド』と言い換えます)を好きな層って、「好きな人は好きな人同士で固まってその話が出来ればそれでいい」って人がとても多かった。Twitterという便利なツールがあるからです。たとえリアルに同じ趣味の人がいなくても、一度Twitterを開けば同じものを好きな人たちが好きなものの話をしている。これってすごく居心地がいいわけです。
根暗系バンドって君を殺したり君を刺したり俺は消えようとしてたり僕は消えたかったり線路に飛び込む人を見たり世界が終わったと思ったら終わらなかったり、とにかく終わりを描く歌詞が多かった。そしてそれに共感できる人たちがコミュニティを形成していて、時代を代表するくらいデカかった。今思うと異常ですよね。教室の隅っこでぼーっとしてる人たちが、もしくは生活の別のどこかに居心地の悪さを感じてる人たちがバンドをやって、そのバンドに共感する人がたまたまTwitterという流行り始めのツールを手に入れて、文化の中心にまでなったんです。
時代時代によってカラーはあるし、世代が違えば共感は難しいものだと思いますが、あの時代は特別難しい。「あの頃、すごく息がしやすかった」っていうごく曖昧な良さが中心として自分の中に残ってるからです。だから世代の違う今の中高生にあの頃のバンドを勧められるかっていうとわたしには無理だし、「わたしにはいいんだよ」としか言いようがない。たぶん今の中高生の子ってラインの延長線上でTwitterをやってる子、多いと思う。そういう子たちに「居心地悪い人たちが好きなもの」を勧めてもたぶん響かない。
実際今の若手の人たちのバンドってとてもおしゃれです。全然ダサくないし、とても洗練されてる。それはそれでいいと思うんです。
ただ、わたしが好きなのはどうしようもなくダサくて、そのダサさに自覚すらなくて、ダサさで突っ走ってるのが死ぬほどかっこいいバンドなんですよ。「恥ずかしい」っていう一番ダサい感情を捨てた先のものがすごくかっこよかった。あれに一番心が動くから、この頃の若手バンドがあまりピンとこないんだと思います。5、6年前CDの帯によく書かれてた「初期衝動」ってフレーズにすごく弱かった。今わたしが一番求めてるのってそれなんだろうなー、と思います。

久々に9mmのTalking MachineのMVを見ていてもたってもいられなくなったので思いの丈を綴りました。いや〜ダッサい。でもかっこいい。わたしはもう一度あれが欲しい。

春愁

ブログを作ったぜえ~~~~~~~~~~!!

 

ということで、もう何度目か分からないブログ創設です。多分またすぐ飽きると思いますが、飽きるまで、ゆるゆると頑張ります。タイピングすら遅くなっててショックを受けてるのです。

ただ書くのも、今現在進行中で書くネタに困っているほどなので、だらだら間延びすること間違いなしというわけで、おっこれ綺麗だなと思った言葉をタイトルにし、その意味でも載せていこうかと思います。このネタも三個くらいしかストックないので三記事で更新止まります。ということで、今回のタイトル。

 

しゅん‐しゅう 〔‐シウ〕 【春愁】   
春の季節に、なんとなくわびしく気持ちがふさぐこと。春の愁い。《 春》「―のかぎりを躑躅(つつじ)燃えにけり/秋桜子」

デジタル大辞泉より。

これはどこで見たんだったかな、もう思い出せないくらい昔です……。iPhoneとりあえずメモ帳のタイトルになってるくらいなので、一年ちかく前に書き留めた言葉のはずです。字面が綺麗ですよね。今日やたらと暖かくて春がにじり寄っているのを感じたので書いてみました。

わたしは全然知らなかったのですが花粉も飛び始めてるみたいですね。それに付随してPM2.5やら黄砂やらも。

 なんでか今年はまったく花粉の存在を感じてないです。くしゃみも出ることには出るんですが、全然本気のくしゃみじゃないというか。割と家とジャスコ(バイト先)に引きこもってるのはあるかもしれないですが、今日TK(凛として時雨)のライブを観に淀屋橋まで出掛けても何ともなかったので、もしかしたらわたし花粉に打ち勝ったのかもしれません……。本気でっょぃ女になってしまった。かてなぃ。とっげなぃ。

 

最近本当に読書もしてなくて、この間やっとこさよなら妖精/著米澤穂信を読み終わったところです。米澤穂信を初めて読んだのが確かボトルネックで(入り口として正しかったのか正しくなかったのか微妙なところなんですけど)それから犬はどこだだのインシテミルだの追想五断章だの儚い羊たちの祝宴だのを読んだ後、やっとのさよなら妖精です。デビュー作ってこんな感じだったのかあーって感想でしたね。雰囲気としては小市民シリーズが近いと思います。米澤穂信の初期の作品には青春の……と銘打ってあることが多いんですけど、何というか、その青春っていわゆる型どおりの青春の意味ではないんですよね。青春って若気の至りとか青臭さとかそういったものを表す時に使われると思うんですけど、米澤穂信の場合はそこに付帯する爽快感、フレッシュさみたいな要素が全然なくて。まず登場人物が妙に達観してるんですよね。自分が馬鹿だってことを冷静に観測し理解してるんですよ。そこがもう、世間一般の青春のイメージとはかけ離れているというか。言うなれば普通の青春ものが「馬鹿やった! 若いなあ! わはは!」だとしたら、米澤穂信の青春は「馬鹿をやった。後悔している。言葉もない。」なんですよね。自分がもっと馬鹿で自身の馬鹿なことに気付けないくらいだったら、でもそれはそれで今以上に恥を曝すのもなあ、というような、どうしようもない感じ。これが自分の視点に近い気がして米澤穂信の青春ものはすごく好きです。

ちなみにわたし的おすすめは漫画的に楽しむなら小市民シリーズ、落ち込みたいならボトルネック、ゾクゾクしたいなら儚い羊たちの祝宴です。別段米澤穂信に限らず、皆様のおすすめもありましたら是非聞かせてください。最近読みたい本は小林泰三の玩具修理者です。

 

長くなったので今回はこの辺で。タイバニの、映画が、観たい!